与那国奇譚 趙の報告

 藤田は数日間、ホテルにこもりっきりだった。それも定宿だった福華大飯店ではない。台北の西北、北投温泉にある小さな温泉宿である。福華大飯店などに宿泊すれば、顧客である福王建設や移民事業の華美国際公司の関係者に出会う確率が高い。今回はお忍びの旅で、誰にも会いたくないのだ。
 北投温泉にしても、多くの日本企業の駐在員家族などがそばに住んでおり、誰かに偶然見られ、それが伝わることも考えられる。
 いずれにせよ、日本式の温泉宿は久しぶりの休暇を味わう絶好のチャンスでもあった。ただ、会社からはひっきりなしの電話がかかってくる。
 みんな企画調査に関する顧客からのもので、池住と言う有能な部下を失った今、仕事のほとんどは藤田自身がこなさなければならず、朝から晩まで慣れないワープロと格闘し、それを宿のファクスで送る日々が続いた。
 ゆっくり温泉の広い露天風呂につかっていると、おかみさんが脱衣所辺りから声をかけてきた。
「藤田先生、お客さん。趙さんと言う人」
 慌てて浴衣を着てロビーに行くと、分厚い眼鏡男がニコニコしながらソファから立ち上がった。
「藤田先生、おはようございます」
「やあ、おはよう。どうも良い知らせみたいですね」
「別に良くはないですが、大体のことはわかりました」
「ここでは何ですから、ボクの部屋で話しましょう」

 趙が差し出したのは十数ページに及ぶ日本文の報告書だった。
 そこにはまず、葉の略歴が書かれている。1946年に内モンゴル自治区のフフホト生まれで、1958年に知性発育研究所入所。1962年に中国共産党青年団員、1980年、共産党員。1988年に日本のテレビが主催した「世界超能力者大会」出場のため訪日。そのまま日本に留まり、中国式マッサージ店経営。1992年に来台、天母教に入信。1994年に聖媧教に移り、第3代導師に就任とある。
―えっ、彼女は50歳になるんだ。とてもそうは思えない・・・そして共産党員! そうか、やはり秘密諜報員だったんだ・・・。
「趙さん、彼女が共産党員だったとどうしてわかったんですか?」
「へへへ、台湾にも多くの諜報員が大陸に居ます。それ以上は言えませんが」
「この天母教と言うのは?」
「1920年代に日本人の中治先生と言う人が始められた宗教です。日本の天照大神と中国の媽祖が同一で、天上聖母として崇め、一時は隆盛を極めたのですが、終戦で消滅したと言われていますが、形を変えて生き延び、いくつかに分裂しました。ひとつはキリスト教の聖母マリアと結びついて聖母教に、そして中国古来の聖母、女媧と結びついたのが聖媧教なのです。そうそう、天母教の本部はここの近くに会ったのです」
「わかった、天母(ティエンムー)だ!」
「そうです。天母教えは何と宅地開発までしていて、田園調布に似た理想的な街づくりを目指しました。だから、戦後、多くのお金持ちがここに住みたがり、宣教師や海外の大使館員などもここに住みだして台北一の高級住宅街になったのです。もっとも、天母教関係者たちは居ませんが・・・そうそう、なぜここが聖地になったのかわかりますか?」
「何で、ですか?」
 すると趙は窓を開け、西の方にある山を指差した。
「あの山は観音さんです。ほら、観音様の横顔に見えませんか?」
「そう言えば、そうですね」
「媽祖は別名、媽祖観音とも言います。中国の観音信仰は古くからの聖母信仰とも結びつきました。中治先生はそこに目をつけられたのでしょう」
「ところで、葉はどこで天母教の信者になったのですか?」
「あの、基隆の聖媧宮は、もともと天母教の別院だったのです。要するに乗っ取ったのです。いや、もっと正確に言えば、大陸の寧波にある媽祖宮が買収したのを接収したのです」
「そうか・・・そこも実は共産党諜報組織の隠れ蓑・・・宗教に名を借りた危険な組織なんですね?」
 藤田はさらに報告書を読み進んだ。
「ほおー、竹聯幇はやはり洪幇の流れだったんですね」
「鄭成功です。復明滅清の英雄。しかも日本人女性が母」
「それじゃ、すぐに結びつくなあ」
「洪幇も中華民国になってからは二つに分かれました」
「親蒋介石と親共産党ですね?」
「最初は国民党寄りだったのですが、張安楽と言う人物が実験を握ってからおかしくなった」
「張安楽?」
「台湾の大学を出てからスタンフォード大学に留学したインテリヤクザ。でもその前半生は謎なのです。どうも大陸から来たらしい」
「やはり共産党の諜報員なのですか?」
「とにかく葉は張と昵懇だったのです。でも張は今どこかに雲隠れ」
「はは~ん、それで四海幇が逆襲に出たんだ!」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です